2016年8月にこの世を去った清水成駿。ファンの皆様から追悼メッセージをいただいた中で、「清水といえばジャパンC、ジャパンCといえば清水」というお声を本当に多数頂戴いたしました。
そこで、今年のジャパンC開催を目前に控えたこの季節に、清水成駿が「1馬」在籍時に綴ったジャパンCの予想を、当時の新聞のまま復刻公開!今もなお色褪せない“孤独の◎”の数々をどうぞご賞味ください。(協力:優馬)
◎◯▲が上位独占!
清水のジャパンCはココから始まった
「世界へ通用する馬作り」「海外馬と競う場を」をコンセプトに、1981年(昭和56年)に創設されたジャパンC。アメリカから3頭、カナダから3頭、インドから1頭の計7頭の外国馬が参戦した。(※トルコからの来日馬は故障)
招待馬の目玉とされたのはアメリカGIホースの⑪ザベリワン。だが、当時「海外遠征」が身近なものではなかった日本の競馬ファンにとって、長時間の輸送を経ての競馬や、海外馬特有の馬なりに終始する調教に、ファンやマスコミは大いに頭を悩ませたとか。
そんな不安材料とは裏腹に、レースでは外国馬が1~4着を独占。勝ち馬メアジードーツは従来のレコードタイムを更新し、日本でもっと期待を集めていた②ホウヨウボーイ(3人気)、⑮モンテプリンス(2人気)は掲示板をも外す6、7着。
秋の天皇賞でワンツーを決めていた2頭の完敗ということもあって、海外馬との差を大いに痛感させられる結果であった。
清水の予想を紐解いてみると、先見の明ありというべきか、日本馬はまるで軽視というスタンス。特に、招待馬の中でも最も調教内容が軽かったとされるメアジードーツにも厚い印を置いていますね。
結果としては◯▲◎の順で入線も、当時は単複馬券の他は枠連しか存在してなかった時代でもあり、買い目指南では◎-◯、◎-▲、◯-▲の3点を本線指定し的中。ココから、清水成駿のジャパンC・スーパーショットの歴史が始まりました。
なお、その他の馬に目を向けると、サクラシンゲキは当時快速スプリンターとして鳴らしたスピードホース。このレース披露した玉砕覚悟の逃げから「日の丸特攻隊」と称されました。
メジロファントムの鞍上欄の「横山」とは、今もなおトップジョッキーとして活躍する横山典弘騎手の父・横山富雄元騎手。この時代の名脇役として、そして東京競馬場の誘導馬としても愛されました。オールドファンの方にとってはたまらない紙面ですね。
また、インドから来日したオウンオピニオンは「インドのシンザン」という肩書きで、日本のメディアは紹介。蹄鉄を履いていない、額に宝石が埋め込まれていた、など破天荒なエピソードを残していったようです。(文:編集部・山本)
1981年11月22日(日)
第1回 ジャパンC(G1)
1着◯⑭メアジードーツ(5人気) 2:25.3[レコード]
2着▲①フロストキング(9人気) 1馬身
3着◎⑪ザベリワン(1人気) 1馬身1/2
単勝 ⑭ 1,120円
複勝
⑭ 330円
① 490円
⑪ 200円
枠連 1-8 2,890円
(※当時は馬連の発売がまだ行われておりませんでした)