「あくまでとのさんの体調と都合次第だが明日(29日)は出掛けられる?いやな、おまさちゃんが店の状況を訊いてきて……。京子ちゃんが『29日の5時過ぎは大丈夫?。わがままなお願いだから無理は言わないでね』って」
「何!京子ちゃんが。で、返事は何と……。あ、そうか俺に聞くぐらいだから親爺はOKってことか」
久々に、しかも突然で意外のこと。さすがの遠野もちょい狼狽えての問答となった。否も応もない。体調を言い出したらキリがないが、暇だけはある後期高齢者。
「了解。楽しみだなぁ」
「だよな。良かった。そこで相談だが、横ちゃんも会いたがってるし、京子ちゃん達が来る前にとのさん来てくんない?そうだな4時頃で」
そんなこんなの29日、ドジャースの試合が延びて到着は4時ギリギリ。案の定“今や遅し”とばかりに横山はカウンターで待ち構えていた。
「すみません。ご無理を言って」
「なぁ~んも。座ろう」と酸素ボンベを脇に置き指定席に向かう。
と横山がカニューラ(鼻チューブ)を受け取りティッシュで拭き格子枠の隙間から「どうぞ」
「ありがとう」
「どうする?」
「ん!まさか京子ちゃんやおまさちゃんが来る前に出来上がるわけにはいかんだろ。そうだな、俺は牛乳とかりんとうでも貰おうか。あ、水も」
親爺ニヤッとして「あいよ」で厨房に行くと何と牛乳とカップに取り皿と袋ごとの“蜜二度掛け 黒糖かりんとう”を持って帰ってきた。横山はもちろんだが、注文した遠野もビックリだ。
「フッフッ。何年付き合ってるんだ」
以前、電話で親爺と話した時の会話を覚えていたみたいだ。
「畏れ入りました」。頭を下げた。
「ふぅ~ん。遠野さんは牛乳と甘い物もお好きなんですね」
「まぁね。昔、胃潰瘍で辛かった時は馬主さんや調教師とも牛乳で付き合ってたよ」
「ゴルフ場や銀座のクラブで牛乳だからなぁ。とのさんは日本一高い牛乳を飲んでいたかもな。そうそう甘いもんと言えばチョコポッキーをマドラー代わりで使った後ポリポリし、おまさちゃんと京子やんからプレゼントされたデメルのチョコをウイスキーに浸して食べたり……。色々と教えてもらったよ」
「よく覚えてんなぁホント。かりんとうもそうだが脱帽だよ」
「親方さんの記憶もそうですが遠野さんの眼力にも改めて脱帽です。もう3年になりますか。外国人ジョッキーは別として注目は横山親子に横山琉人。『横山時代到来か』と仰い、続けて『地味だが配当的にも忘れちゃいけないのが丹内裕次』と推奨されていましたが、丹内さんはこの福島で12勝を挙げ2年連続のリィーディングに輝き、今年はこれまでに41勝、堂々の2位ですからねぇ。それに…」。言いかけて口籠もる。カリカリ音を立てながらかりんとうを貪っている遠野の反応が気になるのか。
その遠野は不意に横山を見て「で、それに何?」。ちゃんと聞いていた。
「あ、いえ先週の『雪うさぎ賞』では前走ルメールで②着だったワースに乗って楽勝、正直スッとしました。ルメール時の単勝オッズは180円で丹内さんは280円。先々週は人気薄でも勝ち単勝7050円。今年単勝の回収率は楽に100%超えです」
「ほぉ。良く調べたもんだ。腐らず慌てずで地道に、懸命に乗っている丹内の努力が実ってきたんじゃない。モレイラが居なくなったと思ったらレーンにシュタルケになんちゃらと短期免許で出稼ぎ来日の外人がゾロゾロ。そんな厳しい環境でそれなりの成績を残すのは稀有なこと。丹内の推奨は“蟷螂の斧”で応援の意味もあるな」
「先日お会いしてからのメーンはモレイラ(桜花賞)モレイラ(皐月賞)に先週はダービーTR青葉賞がルメール、モレイラ、シュタルケの3外国人で決まり、オークスTRフロ-ラSがシュタルケとルメール。確かにやりたい放題ですね」
「まぁ外人が乗るから勝つのか強い馬に外人が乗るから勝つのか……。冷静に考えれば相乗効果なのだろうが、やはり不愉快この上ない。“もっと日本人ジョッキーにチャンスを与えてやれ”と言いたい。あの岡部だって祐ちゃん(野平祐二)を、柴田政人は加賀さん(加賀武見)を相手に、そして目標にして一時代を築いたが、今は次から次と働き盛りの外人を招聘。どこかでノーザンを筆頭に一部の有力者の要望にケジメ、待ったをかけなければ豊(武豊)に匹敵する日本人ジョッキーは絶対に現れんだろうな」
珍しく饒舌だ。京子ちゃんやおまさちゃん相手ではこんな話はできないからかも。
「先週の香港で勝ったタスティエーラに乗ったレーンが今週はヘテントールで『天皇賞』を狙うんだってな。もはや笑うしかねぇよ。日本で甘い汁を吸わせ、それと引き替えに海外遠征用のジョッキーを確保する魂胆か。トランプ相手じゃ無理だが、この関係ならまさに<ウインウイン>だ。えへっ」と親爺。
「でも遠野さんもさすがに今週の『天皇賞』はお買いになるでしょ」
「出走15頭中ノーザンが半分以上の8頭。普通は馬券は買わないんだが、福島も終わったし何せ丹内の晴れ舞台。前走テン乗りでのGⅡ勝ちは見事。マイネルエンペラーの単勝だけ買って応援するよ」
「よし!俺も買う。エンペラー=皇帝。天皇に縁がある名前じゃん」
親爺、ムキにならない所が素晴らしい。
「そう言えば昔、天皇に引っかけて大穴馬券を取った婆さんがいてな」
遠野が言うと“何?”て感じで二人が先を促す。遠野が時計を見ると5時前だ。まだ大丈夫。
「学生時代のバイト先でのことでな。ノンビリしていて待遇も良かったんだが、その内容はいずれ。そこで仲間達と『天皇賞』の検討をしていたら経営者の婆さんが顔を出し『私のも買って来て下さい。明日(昭和43年4月29日)は天皇様の67歳の誕生日だから⑥⑦を1000円』と。こっちは何を買うかより幾ら買うかが問題なのにだよ。結果は公営上がりのヒカルタカイが勝って枠連⑥⑦は5000円チョイ。俺?パーだよパー。チェッてなもんだが月曜日の賄いは『鰻でも寿司でも好きな物を頼んで』と。もともと昼飯付きの条件だが普段の上限は確か300円までだったような気がする。その時思ったね。嫌いな婆さんならともかく普通の関係なら、人の当たり馬券も喜んであげよう、と」
「自分もそう思います。尤も金山さんの当たりにはムカツキますが」
「そうだな。どうせ誰か当たるんだから親しい奴が当たって潤った方がいいもんな」
「ところで急に京子ちゃんが『店を開けていただけますか』なんて何かあったのかなぁ」
遠野が不審がると「久しく会ってねぇし、とのさんの体調を気遣っての見舞いじゃないの」
「それにしても急だし、もしかしたら結婚の報告かも。ならお祝いだな今日は」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。