「『ぼつぼつクリニックに処方箋貰いに行かなくちゃならないんじゃないですか?』」と横ちゃんが心配しんしててな。『寒いし良かったら10日に車を出します』ってさ」
立春を迎えた途端寒波が襲ってきた日本列島。政治を筆頭に「フジテレビ」の女性アナ献上問題に諸々の社会犯罪。何もかもが狂っちまったようだが、絆ってやつはまだまだ捨てたもんじゃない。
「頑鉄」の親爺から電話があったのは4日の火曜日だ。10日といえば日曜と祝日の谷間。いつも以上に混みそうだし、7日の金曜日にするかどうか悩んでいたところで遠野自身の気持ちは7日の方に傾いていたのだが……。とはいえ折角の好意。一瞬ためらったが「いいの?申し訳ないし」
「いやいや横ちゃんはとのさんが喜んでくれれば自分も嬉しいし、それに祝日の前日だから会社も休めるらしいんだ。ま、会社のスケジュールについては百も承知。とのさんには釈迦に説法だが」
そんなこんなで申し出を有り難く受け、横山君には午後2時に来てくれるよう親爺に伝えた。ところが……。降雪で土曜日の京都競馬が中止となり、それが10日の月曜日に振り替えとなった。“やんぬるかな”だ。だからといってクリニック→「頑鉄」を止める訳にはいくまい。出社となり車を出せない横山が必要以上に落ち込むはず。仕方ない。土曜午前中に遠野の方から親爺に連絡。「どっちにしろクリニックには行く予定だったのだから横山君に気にしないよう言っといて」と。
案の定というかクリニックは“大繁盛”。病を移されても困るし、近くの喫茶店で順番が来るのを待つことにした。診療を終え「頑鉄」に到着したのは6時前。カウンターに居た横山は遠野の顔を見るや否やすっ飛んできて謝ることしきり。遠野は「気にしなさんな。それより迎えに来てくれるなんて……。ありがとね」と言ってポンポンと肩を叩いた。
「申し訳ありませんでした」
もう一回頭を下げたところに梶谷登場。
「こんな所で何してるんですか?遠野さんどうぞ」と言いテキパキと酸素ボンベを処理、指定席に誘(いざな)った。横山のホッとした表情は恐らく忘れないだろう。
梶谷が「もう少ししたら井尻さんも来るんですって」と言い、続けた「熱燗でいいですよね」
「もちろん」
遠野が答えると同時に親爺が「へいお待ち」と二合徳利を2本、仲居のきぃ~ちゃんが付け出しを持ってきた。小鉢は大豆タップリのひじきとマヨネーズが添えられた緑の野菜にいつもの蒲鉾だ。
珍しく梶谷が全員に酌をし、猪口を上げ「遠野に向かって「お疲れ様です」と。もっともしおらしかったここまで。一口飲んだ後、緑の野菜を摘まみパクリでポリポリ。「あら、このスナップエンドウ凄っく美味しい。後で吉野さんに茹で方を教えてもらおうっと」
<ふぅ~ん。“スナップエンドウ”か>と思いつつ「親爺!唐墨はあるの」
「当たり前だろ。ま、今日でオシマイだけど。対面に座っている梶谷もニッコリだ。
「話は違うが『フジ』も酷ぇもんだ。日枝が30年以上牛耳っているらしいがあれの呪縛から逃れられない限り立て直しは無理だな」と親爺。
「まぁな。しかし日枝だからこそ『フジ産経グループ』という得体の知れない組織が成長した訳だしな。『報道機関』という武器を楯に権力に擦り寄りベタベタな人脈を築いたんだから」
遠野が応じると「不動産価値が5,000億以上とかの報道があるけど不動産なんて商売は政治家との癒着、いえ良好な関係がなければ儲かるものではないですからね」。大手銀行でホールセールを担当していた梶谷の言葉だけに説得力がある。
うんうんと親爺が頷くと「ねぇ唐墨まだ」急に愛らしくおねだりだ。
「井尻さんが来たらね」。親爺が応える間もなくきぃ~ちゃんがまたまた小鉢を。
「おっ。氷頭膾(ひずなます)か。これはこれは高価な珍味を」。遠野が頭を下げる。
「冷凍もんだけど、吉野が見つけてきてな。『遠野さんと梶谷さんにご賞味いただければ』と」。いい後継者ができて親爺も満足そうだ。
「これって(氷頭膾)ここで教えて貰ったけど一言でいえば“大人の味”かな」
「おまさちゃんに喜んでもらえば俺も吉野も本望だよ。でもなぁ。鮭はさらに獲れなくなりそうだし、新鮮な鮭を一匹ごと買ってイクラや氷頭を自分ちで調理するなんてもうできないかも」
「『フジ』に戻るけど先月末に臨終じゃなく最終号を生まれて初めて『夕刊フジ』を買って読んだんだが、何と一面のトップ記事が安倍を尊敬してやまない櫻井よしこのインタビュー。記事は二面にもまたがり、その二面の右肩は『安倍昭恵さんメッセージ』。ちなみに三面トップは高市早苗のインタビューで中身は推して知るべし。善悪は別として『フジ産経グループ』の本性見たりだ。これが日枝イズムだろうな。それに……。まぁいいか」と遠野。熱燗を呷って水を飲む。一息ついた。
「何だよ。勿体つけないで喋んなよ」
「いやね。高市の横、つまり三面の左肩に『フジテレビ』新社長・清水を取り上げていて『文春』の訂正が遅かった、と。俺に言わせりゃ橋下徹が『文春』の上書きに気づく前に当事者であるテメェらが気づけよだ。そうすりゃあ27日の会見でも『Aからの電話ではなく仲居から直接誘われた』と断言できたはず。もっともそれでAなる人物が無罪放免、『フジテレビ』の体質に問題なしとはならんが。いずれにせよヒラメ役員は無能。日枝が居なければ立ちゆかんだろ。知らんけど」
「それにしても井尻さん遅いなぁ。オジさん!井尻さんの分を残して唐墨ちょうだい」
「あいよ。明日休刊なのにそんなに忙しいのか」。ブツクサ宣いながら調理場に入って行った。
「忙しいの?井尻は」
「統括(甘方)が煩くて。折角のチャンス。『夕刊フジ』の読者を取り込む新企画を出せって。毎日のように部長クラスを集めての“小田原評定”。だったら日枝みたいに自分から『これをやれ』って指示を出せばいいのに。全く役員になった途端紙面は人任せ。指示は“経費削減”のみ。『夕刊フジ』が無くなったおかげで配送費は嵩むし長くはないわ」。梶谷が嘆きながらも運ばれてきた唐墨に目を輝かす。
「読者層が違うし『夕刊フジ』の客が『ザッツ』に移るとは思えん。せいぜい競馬のある金、土発行に期待が持てるかも。活字離れが進んでるからなぁ。昔、清水さんがヨレヨレの文庫本を持ち歩いていて『“韋編三絶”とはいかんが気に入った本はやはり読み返すなぁ』と言ってたがもはや“韋編三絶”は死語か」
「んなもん。昔から死語に近いよ。な横山君!」
その横山はスマホを取り出し指を動かしている。検索しているようだ。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。