「松下幸之助の人生訓じゃねぇが、とのさんにも“まさか”が待ち構えていたとはなぁ」。枝豆を口に放り込みながら親爺が宣うた。「上りも下りも避け、ひたすら平らな道を選び平々凡々と歩いてきた俺が<従心>を過ぎ後期高齢者となって小坂でもきついのに“真坂”にぶち当たるとは…。俺もビックリだよ」。遠野が応えて冷酒をグビッと。札幌出張中の横山が送ってきた「男山」だ。
「ケッ!どこが平々凡々だ」と悪態をつきながらも満面の笑みで「回復して良かったよ。ホント。気胸持ちの肺気腫だろ。時期が時期(お盆の間)だし悪いけど最悪の事態が頭を過ぎったのは確か。こっちは祈願するしか手がないし…。ま、おかげで“ショートメール”ってヤツを使えるようになったけどな」。最後には照れ気味に茶化したが、退院するまでは気が気ではなかったみたい。
それもむべなるかなで、親爺は遠野の健康に最も配慮していたのだ。コロナ規制中はポイント営業は無視、素性の知れない客を排除する意図もあって“前日までの予約必須”とした。店から感染者は絶対出さない覚悟で営業を続けてき、そして現実に“店で感染した”の話は聞こえてこなかった。
「で、自覚症状とかどういう感じだったの?」。会話ができなかったので詳細を知りたいようだ。
遠野が違和感を覚えたのは名ばかりの立秋を過ぎた翌9日の水曜日。眠れなくて夜中に目が醒めることは良くあるが、この日は2時間ごとに起きて小便の繰り返し。“汗が出ない分、昼間補給した水分が出たのだろう”と高を括っていたのだが、10日は眠剤を2錠飲んだにも拘わらず、なかなか寝付けず今度は1時間ごとの大頻尿。そのたびに結構な量が排泄されるのだから面白い。そう思えるほどの余裕もあった。そして世の中の連休が始まった11日の昼までは食欲も気分にもさほどの変化はなかった。
本格的におかしいと感じたのは暑さも頂点に達した午後3時ごろ。だるさに加え喉がいがらっぽくなった。“睡眠不足だし仕方ない。昼寝でもするか”と横になった。眠れない。起き出して「新潮」の中車入籍の記事や「文春」の木原官房副長官に維新・馬場の追求記事に目を通したが興味が湧かない。頭に入らない。“クーラー嫌いだから熱中症かな”とも思ったが、そのうち咳が出てきた。
食欲も失せ晩酌も止めた。一ヶ月ぶりの禁酒だな…。思った瞬間、胸から喉、背から首がゾクッとした。寒気だ。熱を計ると39度4分。夏風邪かとも思ったが、同じく喉が痛いと言っていた連れ合いも37度5分。6回目のワクチンを打った時にもらったキッドで調べるとともに二本の線がクッキリ。陽性だ。
「でもよぉ。休日だろ、よく救急車が捕まり入院できたなぁ」「こっちも入院はしたかぁなかったが気胸の手術を3回もし、肺気腫治療もしてきた病院だから。あっ連れ合いは薬だけ貰って帰っちゃったけど。ただ腹立たしいのは10日間の隔離と面接禁止。5類だなんて喧伝しながら部屋から一歩も出られないんだよ。治療なんて二晩の点滴のみ。後はじっとしてるだけ。クーラー効きすぎの密閉部屋に隔離され続けていたら冷房病になっちゃうよ。相部屋だから電話もできないし…。親爺に心配かけたくなかったが、いかに蔓延してるか、そして親爺にも気をつけろよと言いたくて井尻にメールした訳さ。ごめんな」
マジで頭を下げた後、お通しのじゃこ天を摘まんだ。旨い。生きていればこその酒と肴だ。
「なぁ~んも。とのさんが身をもって教えてくれたようなもの。確かに感染者は増えている。平均寿命も男女とも下がって姥捨て政策は大成功。薄毛じゃなく薄情な岸田も大喜びだろうが、まだまだ死なん。そうだろ」
「まぁな。少なくとも紙保険証がある限りは飲食のためにも元気に生きる努力はしないと。尤もいざその時がきたらどうするか分からんが紙保険証が廃止になったら俺は健康保険料は払わん積もり。無保険者結構。もちろん介護保険料も。恐らく国は年金から差っ引くだろうが、そうなれば負けは覚悟。老骨に鞭打っての裁判だな。今の立法府と行政はあまりにも独断で強引過ぎる。一人が声を上げれば何人かは続くだろ」
「とのさんの言う通り。ただし今は司法もメディアもアテにできんからなぁ」
「違ぇねぇや。老骨どころか無駄骨か」。お互い苦笑いでコロナ論は終わった。が、時を置かずして「ザッツ」の連中がどやどやと。先頭は梶谷で刈部、井尻に下川と続いた。梶谷が遠野の前に腰を下ろすのを確認してそれぞれの席についた。刈部は当然のように梶谷の隣だ。
「おうおう。皆さん久し振り。元気だったかな」。遠野がニッコリ笑うと全員が「この度はお疲れさまでした」と。「いえね。遠野さんの感染は退院した後に皆に教えたんです。みんなも気をつけろよ、と」。井尻が釈明気味に言うと「そうですよ。でもお元気そうで良かった」と梶谷。もちろんラインで励まされたのだが、内緒ってことで舌をチロリ。新客3人はビールで、梶谷は冷酒。全員に行き渡ったところで井尻が代表して「お目出度うございます。今後ともご指導よろしく。乾杯!」。こんなに賑やかな“忘年の交”はいつ以来だろう。
「ところで明日の決勝はどうなりますかねぇ」。井尻が口を開いた。「決勝?何の」「嫌だなぁ甲子園ですよ甲子園」。追い打ちをかけてきた。「アハッ。とのさんに高校野球の話をしても無駄」。親爺が言うと、鮃の刺し身で冷酒を堪能している梶谷を除く3人は「……」で親爺に目を遣る。「神奈川の決勝戦を録画でも観たらしいんだが、あれは何回観ても審判の誤審。それでも居丈高で傲慢な権威主義に辟易したんだって。甲子園では番度それが繰り返されるし、感動や涙と熱い汗の押し売りには…」「反吐が出る」と遠野。
「でもさ。どっちが勝つと思います」。舌チロリの梶谷が上目遣いに質問する。「横浜の決勝戦の後、慶応の監督がいみじくも『ウチは運が良かった』と言ったように“運”次第じゃない」「なんか審判を味方にした方が勝つのかもね」。梶谷の発言に刈部と下川はドギマギしている。
「運ねぇ。運が良いとか悪いとか 人は時々口にするけど そういう事って確かにあるな」。親爺が言うと梶谷が「それってどこかで聞いたことがある」と。「さだまさしの“無縁坂”だよ“無縁坂”。間違っても“真坂”じゃないからね」。遠野の解説に全員が「……」だ。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。