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競馬コラム

心地好い居酒屋

2017年08月08日(火)更新

心地好い居酒屋:第25話

「ったく。山の日なんて休日ができたおかげで、11日の金曜日が休みになって、それからは盆休みだろ。商売にならんしウチも16日まで休むわ」。

以前から「頑鉄」の親爺がこぼしていたが、それを知った横山は井尻を通じて「盆休みに入る前に一度は遠野さんお会いできますよね」と。その要望は先月21日に会った時に聞いており「7日ならいいよ」と答えておいた。

立秋なら少しは暑さも落ち着くか-―と気楽に“諾”を出したところ、台風襲来の予報。どうしたものかとチョッピリ悩んだが、親爺には清水の命日の報告もあるし<約束は約束。大したことにはなるまい>と雨が降る前に出かけた。

「頑鉄」に着いたのは5時。雨は降っておらず、台風の影響はむしろ心地良い強い風になっている。親爺は当然のように縁台で煙草をくゆらしていた。遠野はとりあえず、井尻に到着の旨を電話しておいた。

「どうだった?」「うん。オレは清水さんの優秀な部下だった連中と夕方から自宅に伺ったんだけどね」。すでに一周忌法要は済ませており、清水の祥月命日の8月4日は、それぞれに別行動だった。奥さんが昼頃お寺に行った時は墓碑の両側に大量の花が、その真ん中には“まい泉”のカツサンドが供えられていたらしい。

誰が持ってきたかは奥さんもおよそ検討はついたが、しばらく墓石の前にいると、果たせるかな、清水の仕事仲間や友人がお墓に戻ってきて「お疲れさまです。清水さんがカツサンドを食べてる間に、自分たちは蕎麦を食ってきました」と挨拶したそうな。

「ふ~ん。清水さんは、その”まいなんとか”という店のカツサンドが好きだったんだ」「いやいや。別に好きというわけじゃないが、嫌いではなかったな。あ、そうそう、その友人に言わせれば『清水さんは富士桜のカツサンドが一番好きだったみたいです』と。富士桜ってのは河口湖近くにあるゴルフ場のことだけどね」。興味深げに聞いていた親爺「そうかぁ。清水さんもゴルフを楽しんで昼飯にはカツサンドに舌鼓をうつという元気な時もあったんだもんな」。

「親爺のごま豆腐も褒めてたし」「それを言われると照れるけど、『こりゃあ本葛だな。旨い!』と言ってくれた時はやっぱり嬉しかったよ」と恥ずかし気にハゲ頭を叩いた。「で、夕方はどうなったの?とのさんは?」。

親爺、自分が行けなかったから詳しく知りたいみたいだ。「オレは“崎陽軒”のシュウマイさ。清水さん庶民的なところがあってね。シュウマイに限ってなら“華正楼”や“聘珍樓”の高級店のやつより好きだったな」。遠野が清水の仏壇にシュウマイを供えた時には、真ん中に立派な鰻の蒲焼きが鎮座していた。<そういえば亡くなる直前、病室のベッドから這い出るようにして『鰻、食いに行こう』と言ってたな>。ふと思い出し、遠くを見るように目を細めた。親爺は目ざとい。表情が変わったのを見て「何かあったの?」と。

「別に…。親爺の分まで手を合わせ、それから奥さんを含め皆で清水さん行きつけのトンカツ屋に行って献杯てことになったわけさ」「昼も夜もトンカツか」「結果的にはね。でも不思議というか、寂しいというか、清水さん一人が亡くなってもトンカツ屋は変わらずの大盛況。何事もなかったのように動いているんだからな」。もっとも、そんな会話を続ける遠野たちも普段は清水の意に関係なく生きているのだから世話はないが…。同じ思いだったのか親爺と目が合うと申し訳なさげに、短い首をすくめた。

井尻と横山が、雨を連れてやってきたのは6時前後。横山は遠野の顔を見るなり「ご無理言って申し訳ありません」の挨拶もそこそこに「先日はありがとうございました。あの後、自分なりに調べてみましたが、どうもスッキリしないことが多くて」。遠野に頭を下げる。

「お疲れ。何をスッキリさせたいのかよく分からんが、“ローマは一日にして成らず”だ。“社台”だってここまでくるには、そりゃあ大変だったと思うぞ」。「そうですよね。でも馬券とは別にして興味が湧いてきて…」。おずおずと答える。遠野は茶豆を剥いて口に放り込んだ。

「阿部さんて人は乾繭相場で何回か大もうけしたことがあったらしくてな。善哉さんも太い馬主が欲しい時期だったし、うまく交渉をしてた、との噂も耳に入ってきたなあ」。横山は焼酎を飲むのも忘れ、遠野の顔を見て言葉に聞き入っている。

「おいおい、そんな怖い顔をして見詰めるなよ」と言うと「井尻も飲めよ。肴はノドグロを頼んどいたから」「あ、はい。いただきます。それより横が無理言ってすみません」。

「気にすんな」手を振りながら「横山クンがその気になって『王国実現の軌跡』なんてノンフィクションを仕上げたら面白いんだがなあ」。“さあどうする”とばかりに反応を窺いながら「釈迦に説法かも知れんが、“社台”もガーサントの後はノーザンテーストまでは種牡馬に恵まれなくてな」。遠野が手酌で「洗心」を飲むと、その程度の知識は持っている横山も安心して焼酎に手を伸ばす。

「マリーノが大失敗だったみたいだな。そんな折かな、オレがケンタッキーに行ったのは。セクレタリアトのダービーを観た年だから1973年か。その頃、クレイボーン牧場の近くの、何ていう牧場かは覚えてないが、そこに照哉さんが居てエルセンタウロの世話をしていたんだ」「あ、それフォンテンブローだと思います」「そうそう。銀座のクラブみたいな名前だったよ。それにしてもよく知ってるな」。横山を褒めた。

そのエルセンタウロは翌年日本で供用されることになるのだが、マリーノ同様、種牡馬成績は芳しくなかった。そんな事実関係は横山も百も承知だが、遠野がケンタッキーに行ったことがあると知って改めてビックリしたようで、ボケッとしている。「ほら!何やってんだ。遠野先輩に訊くことがあるんだろ。さっさと質問しろ」とは井尻。

そこへ親爺登場。「なんか難しい話?それにしても昨日のエピカリスはひどかったなぁ。“社台”もアテにならんし、やっぱ暑い新潟と小倉じゃ勝負できん」。“おまさ”ちゃん欠席のせいもあってか不機嫌だ。横山と親爺がいると、やはり“社台”と競馬の話に落ち着くが、横山は依然として釈然としない顔。何から訊こうか質問を整理しているようだ。


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。